義経の逆襲 巻の六
1189年(文治5)年5月
動員力は2700に増加。
越中国府に安田義資軍が攻め込んできました…
…が、撃退。
1189年(文治5)年6月
長期にわたる尾張滞在に飽きがきたので遠江国府攻略にとりかかりましたが、ちょうど折悪しく鎌倉からの遠征軍と遭遇。
敵将の一人が有名な北条義時。鎌倉幕府の第二代執権ですね。
しかし、義時がいようがいまいが、戦いの結果に変わりはなく……。
ここで歴史を変えてしまいましょう。さらば北条義時。
1190年(文治6)年1月
半年ほどの準備期間を費やして攻撃態勢が整いました。いよいよ東国へ攻め上がります。まずは……
安達盛長軍を粉砕して遠江国府攻略。
かの有名な畠山重忠の身柄を拘束しました。武力99は魅力ですが、今さら歓待して帰順させねばならんほど、人材は乏しくないですねぇ、今となっては。でもまあ、死なせるのは惜しいので、とりあえず幽閉。
1190年(文治6)年2〜3月
覚範軍は越中から越後国府に殴り込みをかけて……
動員力は2800に増加。
木曽谷に向って進軍中の入善行重軍、行く手に加賀美遠光軍が待ち構えていました。
ここで、あの憎き梶原景時を捕えました。当然、斬首です。
1190年(文治6)年5月
木曽谷攻略に成功。
これまた有名な武将である千葉常胤ですが、頼朝の宿老ということで斬首。
続いて甲斐国府も攻略。