義経の逆襲 巻の七
1190年(文治6)年6月
さて、勢力図。
出羽・上野・伊豆あたりを攻めましょうかね。では、上野国府へGO!
以前、要求に屈してバカにされたので、今度は容赦なく蹴散らします。ボコボコにする画像とかないのが残念。
で……
1190年(文治6)年7月
今さら……とは思いますが、金子家忠が転向。
勢力図。
この直後、葛西清重軍が伊豆国府を攻略。
1190年(文治6)年9月
ついにこの時がやってきました。
源義経軍、鎌倉に殴り込みです。
兵力を比較しても、頼朝に勝利の目はありません。
当然でしょう。
頼朝の処遇ですが…
このままあっさり斬首するのもおもしろくないので、解放してやることにしました。
敗残の将として追われる身の辛さを味わうといい。
今度は葛西清重軍が武蔵国府の攻略に向かいます。で、守るは……
武将はただ一人。動員兵に至ってはゼロというこの惨状。哀れですねぇ。
そりゃそうでしょ。
とことん逃してやります。
越後を出撃した覚範軍も、出羽国府を攻撃。
1190年(文治6)年10〜11月
下総国府・上総国府・下野国府・常陸国府を立て続けに攻略。
これで逃げる場所すらなくなった頼朝。
衣川で自害した義経の無念をあの世でかみしめるがよい。
1191(建久2)年2月
どういう風の吹き回しか、義経の異母兄・範頼が登用を志願してきました。
寄らば大樹の陰ということでしょうか。ま、登用して差し上げましょう。
1191(建久2)年3月
いよいよ大詰め。最後の戦いが始まります。
久々に相まみえる強力な軍団。10年ちょっと前までは、手厚く保護してくれていた藤原秀衡に刃を向けるのは、非常に心苦しいのですが…。
義経 vs 藤原国衡という剛の者同士の一騎打ちは、義経、冷や汗モノの辛勝。
しかし、優勢に戦いを進めながらも、あと一歩のところで敵将・藤原秀衡を取り逃がしてしまいました。
1191(建久2)年4月
兵力の回復ならない義経軍に代わり、奥州藤原氏に止めをさすべく平泉に突入したのは、葛西清重軍。
終始優勢に戦いを進め、最後は……
ようやく……
ということで、6年7ヶ月で天下統一。意外に時間がかかってしまいました。ちょっと慎重になり過ぎたかも。
終盤は同じ作業の繰り返しで、かなりモチベーションが下がりましたが、“頼朝粉砕!”の一念でどうにかエンディングを迎えることができました。
最新のゲームに慣れた身としては、
(1)操作性が悪い
(2)イベント発生が困難(普通にプレイしていると限られたイベントしか起きない)
(3)あまり役に立たないコマンドが多い
など不満な点がありますが、ひと昔前のゲームということを割り引くと、まあ及第点をつけられるかと思います。
次回は、来年1月のNHK大河ドラマ「平清盛」開始後、ドラマを視聴することでモチベーションを維持しつつ、シナリオ1の奥州藤原氏(源義経付き)でプレイする予定です。史実だと、義経は藤原氏のもとを離れて頼朝に参陣しますが、ゲームではこれを防ぐ手立てがあるようなので…。