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大河ドラマ「平清盛」記事一覧

平治の乱 その1

平治の乱 背景保元の乱はひとまず終息したものの、その結果がまた新たな原因となって平治の乱が起こります。保元の乱を後白河陣営の勝利に導いた殊勲者は源義朝でしたが、戦後の論功行賞において彼は右馬権頭という役職を与えられたに過ぎませんでした。また、官位や役職においても源平の差は歴然としており、源氏では義朝...

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平治の乱 その2

平氏陣営の参戦藤原信頼・源義朝の蜂起に際して、平氏はどう動いたのか。12月10日の朝、平氏の本拠・六波羅から熊野参詣途上の清盛のもとへ早馬を走らせます。清盛が乱勃発の報を受けたのは、紀伊国切部の宿。紀伊は平氏の基盤が強い地域で、在地武将の湯浅宗重や熊野別当の湛快らが援助を申し出、清盛は伏兵を警戒しな...

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日宋貿易

平治の乱に勝利して一躍スターダムにのし上がった平氏一族。その繁栄の基盤は軍事力だけではなく、対外貿易による経済力にありました。そもそも、対外貿易による莫大な利益に最初に目をつけたのは清盛の父・忠盛でしたが、大宰少弐に就任した清盛がこれを引き継ぎ、日宋貿易を強化・独占していきました。当初は朝鮮王朝の高...

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鹿ヶ谷の陰謀

殿下乗合事件から6年後、後白河法皇の妃・建春門院滋子(平清盛の妻・時子の妹)が亡くなりました。後白河法皇と平清盛の紐帯であった滋子の死は、平氏滅亡の遠因だったと言えなくもありません。当時、後白河法皇と清盛は、滋子の子である高倉天皇の擁立という点で利害が一致していただけで、平氏一門と院近臣の間には官位...

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治承三年の政変

事件の経過は、ほぼドラマで描かれた内容のとおりです。1179年(治承3年)11月14日:清盛が数千騎の軍勢とともに福原から入京。11月15日:関白・藤原基房と権中納言・藤原師家が解官。基房は大宰権帥に左遷され、21日に久我の宿で出家。11月17日:清盛が院近臣を大量処分。受領や検非違使庁を含めて39...

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