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祇園乱闘事件

NHK大河ドラマ「平清盛」、権力闘争に敗れた待賢門院璋子が仏門に入ったということで、1142年を迎えています。

 

この5年後に大きな動きがありまして、一つは清盛が継室・時子(ドラマでは深田恭子)を迎えること。もう一つは「祇園乱闘事件」。これは、一歩間違えれば清盛の失脚につながっていた可能性のある事件です。

 

厳密に紹介すると、ドラマのネタバレになるかもしれませんが…

 

1147年(久安3年)6月15日、平忠盛・清盛父子が、祇園社の臨時大会に田楽を演奏する楽人数人を派遣したところ、楽人を護衛していた清盛の郎党数人が、祇園社の所司に武装の解除を求められたことから乱闘騒ぎを起こし、両方に負傷者が出る結果となってしまいました。

 

祇園社の本寺は、当時、強大な力をもっていた延暦寺であり、僧兵たちは強訴と称して都に乱入することもしばしばだったため、忠盛は事が大きくなる前にこれを収束すべく、翌日、事件を起こした郎党たちを検非違使庁に引き渡し、一件落着を図ります。

 

ところが、祇園社と延暦寺は、忠盛・清盛父子の配流を求めて強訴に。

 

鳥羽上皇や摂政・藤原忠通らは、騒乱に直接関与した郎党だけを処罰対象にすることで話をまとめようとしましたが、一人、清盛父子の処罰を強硬に主張したのが、誰であろう例の悪左府・藤原頼長。「臣が罪は主の罪なり」と清盛父子への厳罰を求めます。

 

結局、清盛に対して贖銅という罰金刑が言い渡され、何とか延暦寺が矛を収めたのが7月24日。事件の発生から1ヶ月以上も経っていました。事件後、一時逼塞した清盛に代わって、朝廷内では異父弟・家盛の存在感が高まりましたが、家盛は20代半ばで病死してしまいます。

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