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保元の乱 その1

それでは、そろそろ「保元の乱」について見ていきたいと思います。

 

天皇家と摂関家における対立が平氏・源氏一族の武士を巻き込んで起こった争いですね。日本史の教科書にも出てきますが、「保元の乱と平治の乱を経て、平清盛率いる平氏が貴族から権力を奪い、初めて武士による支配体制を確立した」というような、あっさりした記述にとどまっています。

 

確かにそのとおりなんですけど、もう少し書き方があるでしょう。そこに至るまでの、ドロドロとした暗闘とかね。

 

“乱”という文字のイメージから、少なくとも数週間から数ヶ月に及ぶ内乱だと思っていましたが、戦闘自体はわずか4時間ほどで決着がついています。

 

ドラマでは、すでに対立の構図が鮮明になっていますが、少しおさらいを…

 

【天皇家】鳥羽法皇−後白河天皇 vs 崇徳上皇

天皇家における対立の根っこは、鳥羽法皇 vs 崇徳上皇。この二人は親子(のはず)ですが、なぜ仲が悪いかというと、崇徳が鳥羽の実子ではなく、祖父である白河法皇と中宮・待賢門院璋子が密通して生まれた子であるという疑いがあるため。う〜ん、乱脈ですね。それに加えて、鳥羽法皇の璋子に対する複雑な感情がからみ合い、鳥羽が崇徳を徹底して疎んじるようになったようです。

 

さらに、鳥羽法皇は寵愛していた美福門院得子との間に体仁親王が生まれると、彼が3歳になった時に崇徳から天皇の座を奪い、近衛天皇として即位させてしまいます。

 

しかし、近衛天皇はわずか17歳で病死。後継問題が再燃します。最有力候補は、崇徳上皇の第一皇子・重仁親王。ちなみに乳母は池禅尼、つまり平清盛の継母です。重仁親王は、当時権勢をふるっていた美福門院得子の養子となっており、すでに親王宣下も受けていたでので、まず妥当な人選ですね。崇徳上皇も、子が天皇になれば自らが院政を敷けるわけですから、重仁親王の即位を強く望んでいたといいます。

 

ところが…またまたここで鳥羽法皇が横ヤリを入れてきました。後継天皇として即位したのは、崇徳上皇の異母弟・雅仁親王(後白河天皇)だったのです。弟が天皇では院政を行うことができません。皇位継承から完全に排除された崇徳上皇の心中、察するに余りありますね。ここまで踏みつけにされると、さすがに哀れに思えてきます。

 

もっとも、後白河天皇の即位には、鳥羽法皇だけでなく、美福門院得子や信西入道の思惑も絡んでいたので複雑でした。

 

鳥羽法皇の寵妃・得子は、近衛天皇への譲位の一件から険悪になっていた崇徳上皇の子(重仁親王)が政権を握れば、自身の発言力が失われることを恐れ、重仁親王と同じく養子としていた後白河天皇の皇子・守仁親王の即位を願っていました。

 

信西は、当初、内覧だった藤原頼長に接近して出世を目論んでいましたが果たせず、雅仁親王(後白河天皇)の乳母だった妻・紀伊局の伝手で政界へ進出したといういきさつがあり、後白河を即位させることが自身の栄達につながるという立場にありました。そのため、守仁親王を即位させたい得子に取り入って、暫定措置として雅仁親王の即位を持ちかけたのです。

 

守仁親王の即位には一つ問題がありまして、それは父である雅仁親王が天皇になっていないこと。古来、父が天皇になっていないのに皇位につくのは、天皇に皇子がいない場合に限られていたことから、守仁親王即位の前提として雅仁親王が後白河天皇となったのです。

 

このような流れで、鳥羽法皇−後白河天皇ライン vs 崇徳上皇の対立は先鋭化していきました。
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《続く》

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