コーエー定番シリーズ「源平合戦」の攻略に…

平治の乱 その2

平氏陣営の参戦

藤原信頼・源義朝の蜂起に際して、平氏はどう動いたのか。

 

12月10日の朝、平氏の本拠・六波羅から熊野参詣途上の清盛のもとへ早馬を走らせます。清盛が乱勃発の報を受けたのは、紀伊国切部の宿。紀伊は平氏の基盤が強い地域で、在地武将の湯浅宗重や熊野別当の湛快らが援助を申し出、清盛は伏兵を警戒しながら、京・六波羅への帰途につきます。

  1. 12月17日、清盛が京に戻り、六波羅の自邸に入る。その後、天皇・上皇奪還のため、天皇親政派の藤原伊通らに接近して抱き込みに成功。
  2. 12月25日夜半、清盛は二条大宮付近で火事騒ぎを起こす。その混乱に乗じて藤原伊通らが後白河上皇と二条天皇を救出。
  3. 12月26日朝、平氏軍が出陣。平重盛軍と源義平軍が待賢門で激突し、重盛軍が待賢門を突破。さらに平頼盛軍も郁芳門に攻め寄せ、源義朝軍と交戦。

そして…

六条河原の戦い

  1. 平氏軍は待賢門を突破したものの、源氏軍に押し返されて、いったん六波羅に退却(戦術的後退とも)。
  2. 退却した平氏軍を源氏軍が追走。ただ、この時点で源氏の長老・源頼政は、形勢不利と見て傍観者の立場に。さらに乱の首謀者・藤原信頼は勝手に戦線離脱して仁和寺に逃走した。
  3. 源氏軍が六波羅に攻め寄せ、手前の六条河原で平氏・源氏両軍が激突。
  4. 12月26日夕刻、源氏軍の敗北が決定的となり、義朝は鴨川沿いに北上して近江方面へ逃走。

敗者のその後ですが、まず源義朝。近江から東国に逃れて再起を図ろうと考え、尾張国の内海まで落ちて、随行していた鎌田政清の舅である長田忠致のもとに身を寄せます。ところが、長田忠致はいったん義朝らをかくまったものの平氏に寝返り、義朝を浴場でだまし討ちにしてしまいました。

 

次に、乱の首謀者でありながら途中で戦線離脱した藤原信頼。義朝を頼って東国へ落ち延びようとしますが、義朝から「日本一の不覚人」と罵られて拒絶されます。進退窮まった信頼は、後白河上皇にすがって助命を嘆願しますが、清盛は謀反の張本人として許さず、信頼は六条河原で斬首されました。

 

義朝の息子たちですが、義平は処刑。頼朝はよく知られているように清盛の継母・池禅尼の嘆願によって斬首を免れ伊豆への流刑。常磐御前とその子供たちも命は救われました。

平氏の一人勝ち

こうして、源頼政一族以外の源氏が一掃されて軍事貴族にライバルがいなくなった平氏は、その後、朝廷と院の軍事力を一手に引き受けることとなります。

 

さらに清盛は、後白河上皇の院政派・二条天皇の天皇親政派・摂関家の間を巧みに渡り歩いて発言力を強め、平治の乱の翌年に従三位に叙せられて参議に列せられると、その後は、権中納言→権大納言→内大臣となり、1167年(仁安2年)には従一位・太政大臣となって位人臣を極めることになるのです。

amazonでの評価はこちら↓
コーエー定番シリーズ源平合戦
コーエー定番シリーズ 源平合戦




ホーム ゲームの概要 攻略法 データ集 プレイレポート 大河ドラマ「平清盛」