コーエー定番シリーズ「源平合戦」の攻略に…

治承三年の政変

事件の経過は、ほぼドラマで描かれた内容のとおりです。

  • 1179年(治承3年)11月14日:清盛が数千騎の軍勢とともに福原から入京。
  • 11月15日:関白・藤原基房と権中納言・藤原師家が解官。基房は大宰権帥に左遷され、21日に久我の宿で出家。
  • 11月17日:清盛が院近臣を大量処分。受領や検非違使庁を含めて39名の院近臣を一斉に解官。
  • 11月20日:清盛の命により、後白河法皇が鳥羽殿に幽閉される。信西の3人の息子と女房以外の出入りが禁じられ、後白河院政は停止を余儀なくされた。
  • 11月20日:後白河法皇を鳥羽殿に幽閉した後、清盛が福原に帰る。

ドラマでは触れられていない補足を二つばかり。

 

盛子と重盛が相次いで没した頃には、それまで清盛と手を組んでいた比叡山延暦寺との関係も冷却化していたようです。鹿ヶ谷事件に先立つ後白河法皇と延暦寺との対立に際して、危うく配流されかけた天台座主・明雲は、その後、延暦寺内で一気に求心力を失い、親後白河派の堂衆派が台頭していました。

 

また、クーデターに際しての大量処分者の中には、平頼盛(清盛の異母弟)、平親宗(清盛の義弟)、平時家(時忠の子)が含まれており、これは後白河法皇の勢力が平氏一門の中にまで侵食していたことを物語っています。

 

武力によって後白河院政を停止させ、ついに頂点に登りつめた清盛と平氏一門でしたが、このクーデターはあまりにも突然の動きであり、反乱分子を抑える具体的な手立ても講じられていなかったため、さまざまな禍根を残すことになります。その一人が、所領を没収された後白河の皇子・以仁王でした。

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