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		<title>源平合戦　攻略せよ！</title>
		<link>http://genpei.geikyu.com/</link>
		<description>歴史シミュレーションゲーム「源平合戦」のプレイレポートほか。
大河ドラマのヒーロー平清盛・源頼朝・源義経らが平安合戦絵巻を繰り広げます。</description>
		<language>ja</language>
		<pubDate>Mon, 1 Jan 1 00:00:00 +0900</pubDate>
		<lastBuildDate>Wed, 16 May 2012 19:27:18 +0900</lastBuildDate>
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			<title>保元の乱　その１</title>
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			<description><![CDATA[
それでは、そろそろ「保元の乱」について見ていきたいと思います。天皇家と摂関家における対立が平氏・源氏一族の武士を巻き込んで起こった争いですね。日本史の教科書にも出てきますが、「保元の乱と平治の乱を経て、平清盛率いる平氏が貴族から権力を奪い、初めて武士による支配体制を確立した」というような、あっさりした記述にとどまっています。確かにそのとおりなんですけど、もう少し書き方があるでしょう。そこに至るまでの、ドロドロとした暗闘とかね。“乱”という文字のイメージから、少なくとも数週間から数ヶ月に及ぶ内乱だと思っていましたが、戦闘自体はわずか4時間ほどで決着がついています。ドラマでは、すでに対立の構図が鮮明になっていますが、少しおさらいを…【天皇家】鳥羽法皇－後白河天皇 vs 崇徳上皇天皇家における対立の根っこは、鳥羽法皇 vs 崇徳上皇。この二人は親子（のはず）ですが、なぜ仲が悪いかというと、崇徳が鳥羽の実子ではなく、祖父である白河法皇と中宮・待賢門院璋子が密通して生まれた子であるという疑いがあるため。う～ん、乱脈ですね。それに加えて、鳥羽法皇の璋子に対する複雑な感情がからみ合い、鳥羽が崇徳を徹底して疎んじるようになったようです。さらに、鳥羽法皇は寵愛していた美福門院得子との間に体仁親王が生まれると、彼が3歳になった時に崇徳から天皇の座を奪い、近衛天皇として即位させてしまいます。しかし、近衛天皇はわずか17歳で病死。後継問題が再燃します。最有力候補は、崇徳上皇の第一皇子・重仁親王。ちなみに乳母は池禅尼、つまり平清盛の継母です。重仁親王は、当時権勢をふるっていた美福門院得子の養子となっており、すでに親王宣下も受けていたでので、まず妥当な人選ですね。崇徳上皇も、子が天皇になれば自らが院政を敷けるわけですから、重仁親王の即位を強く望んでいたといいます。ところが…またまたここで鳥羽法皇が横ヤリを入れてきました。後継天皇として即位したのは、崇徳上皇の異母弟・雅仁親王（後白河天皇）だったのです。弟が天皇では院政を行うことができません。皇位継承から完全に排除された崇徳上皇の心中、察するに余りありますね。ここまで踏みつけにされると、さすがに哀れに思えてきます。もっとも、後白河天皇の即位には、鳥羽法皇だけでなく、美福門院得子や信西入道の思惑も絡んでいたので複雑でした。鳥羽法皇の寵妃・得子は、近衛天皇への譲位の一件から険悪になっていた崇徳上皇の子（重仁親王）が政権を握れば、自身の発言力が失われることを恐れ、重仁親王と同じく養子としていた後白河天皇の皇子・守仁親王の即位を願っていました。信西は、当初、内覧だった藤原頼長に接近して出世を目論んでいましたが果たせず、雅仁親王（後白河天皇）の乳母だった妻・紀伊局の伝手で政界へ進出したといういきさつがあり、後白河を即位させることが自身の栄達につながるという立場にありました。そのため、守仁親王を即位させたい得子に取り入って、暫定措置として雅仁親王の即位を持ちかけたのです。守仁親王の即位には一つ問題がありまして、それは父である雅仁親王が天皇になっていないこと。古来、父が天皇になっていないのに皇位につくのは、天皇に皇子がいない場合に限られていたことから、守仁親王即位の前提として雅仁親王が後白河天皇となったのです。このような流れで、鳥羽法皇－後白河天皇ライン vs 崇徳上皇の対立は先鋭化していきました。《続く》
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			<pubDate>Wed, 16 May 2012 19:26:43 +0900</pubDate>
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			<title>平清盛　第１７回「平氏の棟梁」</title>
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			<description><![CDATA[
巷では「視聴率が、視聴率が…」と耳障りです。関係者はヤキモキしていらっしゃるんでしょうけど、一視聴者には関係なしということで。松山ケンイチさん、主演なので頑張るのは当然なのですが、脇役陣がいいですよねぇ。平家貞（中村梅雀）・平盛国（上川隆也）・雅仁親王（松田翔太）、登場すると何だかホッとします。その雅仁親王、崇徳上皇に院政をほのめかしていましたが、数年後には自分自身があとを継いで、保元の乱で崇徳上皇陣営を叩き潰すんでしょう。ワルですね。今様に入れ上げてアホのふりしていますが、やることはかなり辛辣です。保元の乱の詳細をまとめているんですが、なかなか筆が進みません。早く乱が起きてほしいようなほしくないような…
			]]></description>
			<pubDate>Tue, 1 May 2012 21:21:56 +0900</pubDate>
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			<title>平清盛　第１６回「さらば父上」</title>
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			<description><![CDATA[
ドラマで描かれていたとおり、1151年（仁平元年）、従者同士の諍いを口実にした左大臣・藤原頼長の手の者が、藤原家成の邸宅を襲撃・破壊するという事件を起こしました。頼長は家成を「天下無双の幸人なり」と評して、警戒していたようです。平忠盛の死去は1153年（仁平3年）2月。同じ年に近衛天皇が眼病を発症して一時失明の危機に陥るなど、健康状態に対する不安が高まってきたことから、またまた後継問題がクローズアップされることになります。保元の乱まで、あと3年…
			]]></description>
			<pubDate>Mon, 23 Apr 2012 19:49:32 +0900</pubDate>
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			<title>平清盛　第１５回「嵐の中の一門」</title>
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			<description><![CDATA[
平忠正（豊原功補）、いくら何でも「お前が死ねばよかったのだ」はないでしょう。そんなこと言っているから、保元の乱の後処理で清盛に斬られることになるんですよ。それにしても、藤原頼長（山本耕史）の悪辣ぶりはエスカレートする一方ですね。奸佞邪智を地で行くような役回りですが、実際ここまでひどい男だったのでしょうか。異常なまでに他人に厳格なナルシストというイメージだったのですが。彼の失脚、というか文字どおり最期も刻一刻と近づいてはいます。楽しみです。源為義（小日向文世）と義朝（玉木宏）が、何かにつけて衝突するようになったのも、保元の乱への伏線ですかね。早くカタルシスを味わいたいものです。ここまで15回ほど視てきて、中村梅雀の家貞と上川隆也の盛国がとても気に入っています。いずれも懐の深い味のある演技で、見ていて安心できますね。家貞は、忠盛・清盛の二代にわたって側近として仕えた生粋の平氏家人です。保元・平治の乱でも活躍し、一ノ谷の合戦で討死したとされています。盛国は、壇ノ浦の合戦まで生き延び、平氏滅亡後は捕虜として鎌倉に送られました。以後、飲食を一切絶って法華経に向かい、餓死したそうです。
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			<pubDate>Mon, 16 Apr 2012 21:36:45 +0900</pubDate>
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			<title>平清盛　第１４回「家盛決起」</title>
			<link>http://genpei.geikyu.com/ca_zatsudan/ca_11to20/en_kiyomori14.html</link>
			<description><![CDATA[
平家盛（大東駿介）の落馬直前の虚ろな表情、迫真の演技でした。史実では、熊野詣の随行出発時にすでに病を患っており、帰途に容態が急変して亡くなったとされています。ドラマでもそれになぞらえて、熱に浮かされた状態で昔日を回想しつつ意識を失って落馬、という設定なのかと思いましたが、公式サイトの「あらすじ」を読むとどうやら違うようで。端的に言うと「ぼーっとしていて馬から落ち、打ちどころが悪くて死んだ」みたい。少々情けない最期です。史実どおりのほうが良かったように思いますが。さて、相変わらずの“悪左府”ぶりを発揮している藤原頼長（山本耕史）ですが、今回は男色を彷彿させるシーンがありました。実際、頼長の日記には男色の記録が数多く残されているそうです。ただ、当時は男色自体は珍しい行為ではありませんでした。
			]]></description>
			<pubDate>Mon, 9 Apr 2012 19:18:02 +0900</pubDate>
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